2009年1月 4日

Love Songと沙耶シナリオ考察 麻枝曲「走る」から

jpgリトルバスターズ!エクスタシーの沙耶ルートと麻枝准さんの曲「走る」「駆ける」に関しての考察その1。エクスタシートラックスのブックレット見て絶望したので書いてみた。


■期待してたコメントと違う

 12月25日にやっとエクスタシートラックスが買えて、わくわくしながら「駆ける」のコメント読んで絶望した。期待してたコメントと違うじゃないか。

 沙耶ルートと「駆ける」の関係は僕なりに考察が終わっていたが、コメントがどうにも納得できないので、僕なりの考えを書いて置く。

 (こういうのを書くのは恥ずかしいから避けてたけど、「アウトプットが無いのは何もしてないのと同じ」を読んで少し反省したorz 2009年はもう少しアウトプットしてみる)

■『Love Song』とは

 「駆ける」とは、麻枝准さんを語る上でしばしば引用される『Love Song』というアルバムの中の一曲「走る」をアレンジしたもの。

 過去の記事やネトラジの繰り返しになるが、『Love Song』は麻枝さんを語る上で絶対に欠かす事は出来ないアルバムだ。
 そこで『Love Song』についてどこかから引用しようと思ったけど適当なサイトが無かったので、まずは『Love Song』について書いておく。

 基本的には『Love Song』という名前の通り恋愛曲を集めたアルバムなのだが、そこは麻枝さん。やはり独特の世界観がある。

「もう百年も生きてきているからきみのこともぜんぶ知っているんだ きみが死ぬそのときに、わたしはそばにいない」

Love Song「百年の夏」


 百年の夏より。
 1曲目の「始まりの坂」で普通の恋愛歌だと思っていても、この曲あたりから嫌でも気づく。これは普通じゃ無い。常識的には百年ってのは何かの比喩なんだろうけど、この場合は比喩じゃなくて本当に百年。なぜそう言えるか。


機械は叫んだ 自分を壊した
腕を残し鉄くずになる

Love Song「グラモフォン」


 それは8曲目の「グラモフォン」から。
 機械が人に恋してるのが歌詞から分かる。ほとんどの曲はぼやかしてあるんだけど、「グラモフォン」は分かりやすく"おかしい"。

 このグラモフォンから、つまり『Love Song』はある二人の物語を綴ったアルバムだけど、それは時に人の形をしていないという事が分かってくる。色々な姿に形を変えて、色んな時代を生きている。これに相反する考察として、「曲毎に違うカップルの恋愛を描いたもの」と考えてる人も居るようだけど、それは違う。


次の風景は人じゃなかった 優しい声を聴いてた
幸せになる そう信じている 血と涙を流しても

Love Song「そして物語が終わる」

 12曲目「そして物語が終わる」では、"ふたり"の歩みを振り返っている。"蓄音機から流れる優しい声"とは一見して比喩にも見えるが、さきほど引用した「グラモフォン」と併せて考えれば"機械"というフレーズが比喩じゃない事が分かる。
 この"比喩じゃない"というのが「走る」を考える上で重要になってくる。

 また、状況証拠でしかないが曲名の付け方や視聴が全曲のクロスフェード(一番下のSAMPLEより)になってる事も全ては繋がってる事を示してるように思う。

 (蛇足になるけど「僕らの恋」と、それに続く「灰色の羽根」って怖くないですか?特に「僕らの恋」。解釈によっては割とシャレにならない気がするんですが...。どういう意味なのか麻枝さんに聞いてみたいところです)

エクスタシートラックス発売

 あまり関係無い話をしてもしょうがないので『Love Song』から「走る」に話を戻す。
 『Love Song』に出てくる"ふたり"は色々な姿に形を変えて、(時に蓄音機として、)色んな時代を生きているという所まで書いた。

 当然「走る」についても僕なりの解釈をしていて、沙耶ルートをプレイし終わって「良かった、走るについての解釈は正解だったぜ!」と思って今まで過ごして来た。

 ところが、つい一週間ほど前にエクスタシートラックスを手に入れ(コミケ行ってないので持ってなかった)、「駆ける」のコメントを読んでがっかりしてしまった。


『Love Song』に収録されてる「走る」に心残りがあって、当時原曲を気に入ってくれた謎のユニットmoresisさんに改めてアレンジをお願いしました(以下略)

エクスタシートラックス ブックレット『駆ける』麻枝准コメントより

 心残りだから使ったとはまた微妙な表現だ。
 「沙耶ルートにぴったりだと思って使いました」といったコメントを期待してたのに。心残りってどういう事だろう。僕の考えが違ったのか。
 いや、色々考えてみたけどやっぱり納得できない。そこで改めて「走る」について考えてみる。

■「走る」に感じる違和感と奇妙さ、その意味


神は誰を救いたもう
白赤黒の星を点滅させて愉快に笑ってるだけだ

...
...

僕は君を追って走ってゆく
まだ見ぬ世界も駆け抜けてゆく
花の咲く大海原を越えて
配列された虹の空を渡り


Love Song「走る」

 「走る」はとても奇妙な感じがする。まず歌詞が奇妙だ。
 「花の咲く大海原」って何だ。
 「配列された虹の空」って何だ。
 聴けばわかるが、曲調も奇妙だ。繰り返し聞いてると背中がゾワゾワしてくる。Love Songの中でも異色と言ってもいいかもしれない。麻枝さんが好きならば「走る」を聴ける環境にあるだろうからこの奇妙な感じは分かって貰えると思う。

■沙耶ルートで「駆ける」が使われる必然

 この違和感と奇妙さは何を狙っているのだろうか。そこで僕は、「走る」はゲームの中の世界なんだろうと考えてみた。
 スーパーファミコン時代のRPGゲームを想像すると分かりやすい。ワールドマップを走り回るキャラクター、山や海など「配列された」世界を走り回る姿。「白赤黒の星」とはテレビ画面の事だろうか。その前で愉快に笑う「神」。

 ゲームの中の話ならすっきりする。麻枝さんがやりそうな事だ。この奇妙な感じはつまりゲームのカセットの中に放り込まれたせいか。そう考えると、「水の底で誰かが斧を落とすのをじっと待ってるだけだ」とか「星々のゲート」といった歌詞が、いかにもゲームっぽく見えてくる。

 機械にだってなるぐらいだ、ゲームの中でも問題無いだろう。筋は通る。

 リトルバスターズ!エクスタシーが発売された。沙耶ルートをプレイする。「走る」のアレンジが流れる。
 偶然だろうか、沙耶ルートはミニゲームのオンパレードだ。そして何より「ダンジョン」を走り回る沙耶と理樹。「ゲーム」の中で走り回るキャラクター。これはまさに「走る」の世界だ。「運命なんてものがあれば」ああ、そうか。これか、麻枝さんは「走る」にこういう思いを込めていたのか。沙耶が出てきた時になんで「走る」なんだろうと思っていたが、納得した。

 そう、僕の解釈では沙耶ルートに「駆ける」が流れたのは非常に納得の行く話だった。いや「走る」の世界をシナリオに落とした時点で、もう必然と言っても良い。だから"心残り"というコメントが気になってしまった。

 ひょっとしたら、"心残り"というのは「走る をまだ文章に出来ていない」という意味だったのかもしれない。それなら辻褄があうのだが。

 いつも通り考察になってないなー。沙耶ルートはメモがあるのでまた後で。
 *初出時、歌詞の一部が間違ってました。

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コメント

こんにちは、はじめてコメントさせていただきます。
というより、コメント欄あったんですね。知らなかった(笑)

「心残り」があったから「改めてアレンジをお願い」して、
その結果「思い残すことはない出来」になったのだから、
麻枝さんの心残りというのは、おそらく「音」に関するものでは?

それは多分そうだと思います。
僕もそう思います。

上の文章を書く理由をこじつけただけなのでそこはあまり気にしないで下さい。笑
沙耶シナリオの原型って走るじゃないかな?って事が言いたいだけなんですが、それだと面白く無いので麻枝さんを絡めてみました。

ただ、麻枝さんのその理由も走るを使う口実なんじゃないかなーとか思ったりもしてます。コメントを額面通り受け止めれば音ですけど、今回は麻枝さんのコメントを疑ってみようというのがコンセプトなので。つまり表面的には音だけど実は、みたいな。そういう意味も込めてます。無いかなぁ。

コメント欄は1年ほど使ってませんでしたが、認証方式にして最近復活させました。

どっちだろうな。まさか作者からネタバレする事は無いから安眠枕氏の言うとおりコメントは表面的なもので実は走るなのかな。

本当に音に心残りがあったとしても走ると沙耶の関係はたしかにちょっとありそうだと思った。hanabiの例もあるし。

というか、本当に「走る」がゲームの世界の話なのかな?
CD持ってないが、違ってたらどうするの?

>名無しさん
「心残り」という言葉だけ取り上げて議論するのはちょっとアレですけどね。特に意味は無いかもしれないですし。

>AAAさん
どうするも何も、そもそも正解なんてあるんですか?
万が一何かの間違いで麻枝さんがこの文章を読んだとしても「この人はこう思ってるのね。ふーん」ぐらいの話でしょう。

あくまで「安眠枕はこう思ってますよ」ってのを文書にしただけで、間違ってたらどうするのと言われても困ります。

こんばんは。
自分は沙耶ルート終わってから「走る」を聞いたんですが、枕さんと同じくシナリオの原型は「走る」だと思いました。
そして更にコメントが曲に対してのみだったので、寂しかったところも(笑
自分は曲中の登場人物と、作中の登場人物を照らし合わせていこうかと思います。
ネタばれ全開になるので、ヤバイと思ったら削除しちゃってください;;

まず、「神」は恭介でないでしょうか。
誰を救うともせず、干渉だけして不適に笑っている神。
まさに恭介かと。
沙耶からの視点だとすれば、違和感もないかと思います。

次に曲中の主役、「僕」。これを沙耶として話を進めます。
沙耶、つまりアヤは世間一般の生活や青春を経験できず、また何のために生きたのかもわからずに死を迎えてしまった少女。……であってますよね?(何
で、その時の幸せを得たいと言う強い想い、または得られずに一生を終えてしまう絶望が恭介たちの虚構世界に引き寄せられ、好きだったスクレボの登場人物、沙耶として登場したのだと解釈しています。
沙耶自体、恭介が無意識のうちに作り出したとかで、不安定だったためアヤとしての意識で存在できたのではないでしょうか。

ここで「君」の解釈が必要となってくるわけですが、これは「幸せ」なのではないでしょうか?
「体を捨ててまでして探したり」、普通ではありえない「花の咲く大海原」などを超えてまで追って探すもの。
それはアヤが最も欲したものであり、そう考えると自分が手に入れられなかった「普通の幸せ」なんではないかと。

しかし、そうすると「君を好きなたった一つの魂」の部分に違和感が出てしまいます。
「幸せ」を追って追って、残ったものが「幸せ」好きだ! ではあんまりですし。
では、この「君」を理樹とすると?
「幸せ」を追って残されたものは「理樹」が好きなたった一つの想い。
途中で「君」の解釈が変わってしまうところに苦しいものがありますが、こうすると沙耶ルートの象徴となるのではないでしょうか。

そして、曲の最後ですが、「君を好きなたった一人の僕」と、残っているものは魂だけだったのに、「一人の僕」つまり確固たる自分が残っています。
沙耶ルートでは繰り返し繰り返し失敗し、挑戦し続けて最後を迎えます。
「走る」でも同じフレーズを繰り返した最後にこのフレーズが用意されています。
ここも、世界観のシンクロがあるように思えるのです。

内容を知った上でのこじつけに見えるかもしれませんが、こんな解釈はどうでしょうか?

 こんばんは。Z氏の影響でコルト コンバットコマンダーのモデルガン(MGC製発火モデル。ちょっとマイナーなシリーズ80+BWC製グリップ。)を購入してしまったf2.8という者です。
 「走る」と沙耶シナリオの関連だけではなくて、安眠枕さんも指摘されている「Hanabi」とリトバスの関連(鈴と恭介の過去なのではとも言われています)とか、Key+Liaの「恋心」の歌詞がONEっぽいとか、「僕らの恋」の歌詞の「この場所に集められた人たちはみんな同じ 何かを失い続けてた」に似た文が智代アフターのシナリオ中にあったりとか、「神話」がCLANNADの幻想世界っぽいとか「百年の夏」のコード進行が「夏影」にそっくりだとか、ちょっと無理にこじつければこのようなネタはたくさんあります。探せばもっと出てくるでしょう。

 これを思い出したのでURLを張っておきます。Keyと「13」という数字の関連について。
ttp://www.keyfan.info/dic/key_/dr.cgi?key=2651

 私達Keyのファンは、広大な「麻枝ワールド」のほんの一部を垣間見ているにすぎない。そんな気がします。

 麻枝さんは作曲した曲をストックしているらしいので、もしかしたら深い意味は無いのかも、とも思います。「Love Song」が智代アフターのBGMに使われているとか、リトバスサントラの「未使用曲3」がもろに「夏影」のアレンジだった、という例もあります。
 本当のところは麻枝さんしか分からないので、いろいろ考察してみるのも面白いなと思いました。

 直接関係ないのですが、記事中で触れられている「僕らの恋」の解釈について。個人的はかなり好きな曲なんですが、アルバム「Love Song」のブックレットのイラストが、解釈の手助けになると思います。影のかかり方と女の子の手首に注目してみて下さい。
 アルバム「Love Song」についてはいろいろと思うところがあるのですが、長くなりそうなのでこのあたりでやめておきます。

沙耶関連ではなく申し訳ないのですが
『LoveSong』の「僕らの恋」を聴いていて智代アフターのあの村と似ている思ったのは僕だけですかね(笑)

>ここからは遠い海

>この場所に集められた人たちはみんな同じ 何かを失い続けてる

>いつからかみんなが手に筆を持ってた 話をして笑いながら色を塗ってた

>でも所詮僕たちは壊れてて傷つけて失って生きてゆく

まあそんな安易な話じゃあないと思いますがね。

長くなりそうなのでこちらで
まず沙耶シナリオそのものが"ICO"のオマージュではないかと思います。
麻枝さん自身、Keyらじで「開発スタッフに加えてくれ!」というほどの思い入れのある作品ですし、沙耶シナリオでもそのテイストが深く反映されています。
少女と少年のふたりだけでの冒険。一風変わった迷宮での謎解き。正体不明の影との戦闘・・・etc
そして記事で語られている「走る」に関しても、おそらくICOをオマージュしたものでしょう。走るの歌詞はICOの世界観をどことなく表していますし、奇妙な感覚を覚えたというのもなるほどなと思います。
以上の要素を踏まえると、"心残り"という表現も納得ができますし、今回「走る」にアレンジを加えて完成させたのも、納得ができるかと思います。
勝手な憶測ですが、駄文失礼します。

>かいとさん

>>そして更にコメントが曲に対してのみだったので、寂しかったところも(笑
ですよねー笑

さて、それはさておき「走る」の解釈ですが、沙耶ルートに当てはめた時、恭介=神で、沙耶=僕になるというのはその通りだと思います。
問題は「君」の解釈についてですね。「幸せ」という解釈で良いと思いますが、更に抽象的で漠然とした「何か」の方が妥当かなーと思います。
というのも、沙耶は自分が何を探しているのかも分かっていなかったんじゃないでしょうか。
ゲーム中沙耶ルートで出てきたキーワードですと、友達、青春、希望、夢、恋、それにかいとさんが挙げている幸せなどでしょうか。

その「何か」を探して走りまわるけど、それをみつけた時には「ただひとりの僕」であった。
つまりBAD ENDに近いです。
これが僕なりの走るの解釈です。

もう少し具体的な話をすると、やはり歌詞が問題で

『いつか君に出会えたそのときに
僕に残されているものはなに?
君を好きなたったひとりの僕
ただ一人の僕』

これを沙耶ルートで考えると、虚構世界にきてまで出会った「何か」
つまり理樹や、ゲームセンターでのデート、お弁当を食べてもらう幸せ、セックスといったもの。青春、恋、幸せ。

それらに出会った時に沙耶に残されているものは。
それが「たったひとつの魂」であり「たったひとりの僕」なんじゃないでしょうか。

クラスメイトは魂をもたないまやかしですし、
沙耶の魂は独立しています。他の魂(リトバスメンバー)との絡みもありません。(たったひとつの魂)
そして、沙耶はもはや助からない。どう頑張っても「現実に」理樹と結ばれる事はありえません。(たったひとりの僕)
これはタイムマシンとか、沙耶生存説の考察が絡んでくるので、ここでありえないと言い切るのは駄目かもしれませんが。


それともう一つ、沙耶とは関係無いですが「君を好きなたったひとりの僕」とそれに続く「ただひとりの僕」は連続していなくて、
「ただひとりの僕」は独立したものだと僕は考えています。って分かりにくいですね。

つまり歌詞の最後の行「ただひとりの僕」と、それ以前の歌詞との間にはかなり距離があるんじゃないかと思います。

歌詞カードの最後の行だけ、それ以前とは全く別のものに見えるんですよね…。
最後に分かったことは「ただひとりの僕なんだ」ということ。
それはとてつもなく絶望的な悟りで、それがまったく麻枝さんらしいかなあなんて思ってます。

>f2.8さん

>>「僕らの恋」の解釈について。個人的はかなり好きな曲なんですが、アルバム「Love Song」のブックレットのイラストが、解釈の手助けになると思います。影のかかり方と女の子の手首に注目してみて下さい。

そうなんですよね、これどうみても絵なんですよね…。
そして手首に包帯。
『ただ君の塗った跡は赤色に染まっていた。』
うう…。

それに『笑いながら』とか『夏の課題』って一体何なんでしょう。
『この場所に集められた人たち』この場所とはどんな場所?
曲調は明るいんですが、歌詞だけ読んでると負のイメージを通り越して背筋が寒くなるんですよね。これは考えすぎなのかな?と思ってああいう風に書いた次第です。

>>広大な「麻枝ワールド」のほんの一部を垣間見ているにすぎない。
これは本当にそう思います。
麻枝ワールドは多分、そのままゲームに出来ないようなものが多いんじゃなかとも。
個人的には退廃的な麻枝ワールドも体験してみたいんですね。
商業から離れて、同人ゲームのシナリオとか書いてもらったら凄い事になりそうです。

>>本当のところは麻枝さんしか分からないので、いろいろ考察してみるのも面白いなと思いました。
そうなんですよね。
正解が出てくる事はほぼ有り得ないのが面白いところでもあります。

>>これを思い出したのでURLを張っておきます。Keyと「13」という数字の関連について。
僕もCLANNADでの光の玉の13個だった時は色々考えました。
CLANNADにおいては13というのは意味がありそうだというのが僕の結論ですが、
その他の13は偶然なのか狙ってるのかよくわからないですね……。

初めてコメントさせて頂きます、指揮官という者です。

沙耶シナリオはまだプレイしていないので詳しく考察を読んではいませんが、
「Love Song」は今後これ以上の物に巡り合う事はないだろうと思っている作品なので、
ふたつほど指摘させて頂きます。

まず、「百年の夏」の歌詞ですが、
「きみが死ぬときに、わたしはそばにいない」 の部分は「きみが死ぬそのときに・・・」となっており、
「その」が抜けていました。この部分はそこまで重要ではないと思われるので深くは突っ込みません。

次に「そして物語が終わる」の歌詞ですが、「血と涙を流している」ではなく、「血と涙を流しても」です。

「Love Song」の中でもこの曲は、特に好きだったので流し読みしただけでも間違えているとわかりました。

「血と涙を流している」と「血と涙を流しても」では、歌詞の意味するもの、伝えるものが大きく変わってしまう。
そう思い今回コメントさせて頂いた訳です。

>指揮官さん
改めて歌詞カード見直したら仰るとおり間違えていました。
さきほど該当部分を修正しておきました。
ありがとうございました。

初めまして。いつも楽しく拝見しております。

安眠枕さんは、「LOVE SONG」の曲順を〝入れ替えて〟みたことがありますか?
既存とは別の、狂気としか形容できないストーリー解釈ができるんじゃないかと思っています(麻枝さんの製作意図とはかけ離れているでしょうが)。
時系列の定かではない「LOVE SONG」ならではの楽しみ方(?)ということで。
駄文失礼致しました。

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